2010年03月17日

旭堂南陵『太閤記から 矢作橋(やはぎばし)』

三代目旭堂南陵.png

 初めの部分がちょっと録音されてなくて途中からでしたので、僭越ながら私の創作で付け加えました。なお徳川家康の小さい頃の姓は松平ですが本文ではややこしいので徳川竹千代となっております。
 ではたっぷりどうぞ!

「針〜〜!針は要らんかね〜〜、針〜〜!針は要らんかね〜〜・・・あ〜腹減ったな〜・・今日は全然売れんかったわー、三河もんは吝い(しわい)からいかんわい。」

 袖の短い、裾も短い、前は何色だったか見当もつかないほど汚れた単衣物(ひとえ)の着物を着た小僧が川べりをとぼとぼ歩いていた。田んぼが見える、何を思ったかこの小僧、田んぼの脇に来て、着てる物をふんどし一つ残して全部脱いでしまった。
 田んぼの中にばしゃばしゃ入って行く、腰を屈めてしきりに手を突っ込んでは何かを取ってる。タニシです。だいぶ取ったと見えて手拭いいっぱいに集めたタニシを持って川の方へ・・ついでに風呂代わり、すっかり身支度した後きょろきょろあたりを見回してる。
「や〜、あそこがいいや!・・」 橋の下へ・・“グ、グ〜〜ウ!” 
「やあ、腹の虫がなっとるわい、今日もこれだけや」
 小さな鍋に水を張りタニシを茹で始めた・・満腹になるとそこへゴロッと寝てしまう。 何という高いびき! しわしわの顔を尚更クチャクチャにさせながら、またいつもの夢を見始めたのか・・

 この小僧、父弥右衛門(やえもん)に先立たれた後、母は竹阿弥(ちくあみ)いう男と再婚したがこの義父と折り合い悪くすぐ奉公に出されたが首に成り、今度は寺に入れられたがまたしくじり、居られなくなった。
 母の妹の旦那、加藤弾正という者がいる、のちの加藤清正の父ですがこの頃出色の織田家の足軽をしている者で、この小僧のお気に入り。行く所が無く顔だけ見せてから旅にでも出ようと思い、立ち寄った。
『よおー猿、よく来た!・・その分じゃまたしくじったか?』
「面目ない・・おりゃあ叔父さん見てぇに侍に成りてぇだ!」
『はっはっは、まだまだおめぇの年では・・まあ小物あたりからなら使ってくれるとこ有るかも知れんな』
「どこの大名がいいかな?」
『さあてね・・まあ先が楽しみと思えるのは今川あたりかな?』
「今川と言うと駿河けえ?」・・
 と言う事で針売りしながら11の小童(こわっぱ)は旅に出た。この小童中々に人を見る目を持っている、駿河に着くとその城下の様子人々の様を見るに、まるで都のような様子だが何故か人を見下すような偉そうな感じの者ばかり、町人(まちびと)からしてこうでは殿様も・・針売りをしながらまるで間者の様な下調べ・・
「こりゃ駄目だ、こんなとこ居たら飼い殺しになるだけで出世でけん!」
 そう見切りを付けて再び西上し始めた。故郷中村を出てから彼これ一年余、三州三河辺りまで戻って来るといつものように寝ぐら探し、タニシを取って満腹になると、大胆不敵に寝込んでしまいました。夜の明けるのも知らないで寝ている。

『こりゃ、こりゃ、こりゃ・・これい! 起きんか!小僧、こら!起きんか!』
「あ〜あ〜あ〜〜あ〜・・やー? お侍だな〜」
『そうだ、出ろ出ろ! 何だこんなとこに寝ておって、邪魔になる!』
「え? おらあこんなとこに寝ていて邪魔になるかー? 何で邪魔になるんだ?」
『ただいま若殿様ご通行じゃ』
「へへぇ、若殿と言うたら誰じゃい?」
『うるさい奴だ、三州岡崎のご城主徳川広忠様の若殿、竹千代様だ』
「あ〜竹か」
『こら! 何じゃ!』
「何処を通るんだい?」
『橋の上をお通りじゃ』
「橋の上通るのに橋の下にいる者をば、何で邪魔になる?」
『こんな所に人が居るというのが良くないのじゃ、上あがれ上、橋の上あがって両手をついて頭下げい!』
「そうか? そんならあがろう」

 そんなりで追い立てられるように致しまして矢作(やはぎ)の橋の上、ぺったりとそこへ座って、仕方がない両手をついて頭を下げながら、竹千代てぇ奴はどんな奴だ、大名の倅(せがれ)だな・・

“下にー、しゃおおお〜〜〜” 行列は先を掃ってくる(はらってくる)、これがのちの徳川家康で御座います。この人は天文の11年12月26日の生まれ、太閤さんは正月の元日だが、この人はまた12月なんです、26日、恐ろしい迫って生まれたものです。
 ようやくに可愛らしい若殿でお駕籠に召されまして、駕籠の脇に乳母が付いて、持て遊びを2つ、3つ前において、大名の若殿ですから行儀良く両手を膝に乗せて、珍しそうににこにこ笑いながら上の方を見ている。“下にー、しゃおおお〜〜〜” 藤吉小僧頭下げながらこれを見た。
「あー、こいつ俺より年は下だ、えー! 大名の家に生まれた幸せ者めが、俺の寝ているのを追い立てやがって、橋の上へ座って頭を下げる・・ははー、幸せな奴だな。俺が出世したら・・この子倅をば家来にして・・この橋を渡って見せてやるぞ!」
 子供ならこそこんな馬鹿馬鹿しい考えが出たんです、かりそめにも大名の若殿で、己は寝るとこの無い小僧だ、それがこれを家来にして橋を渡って見せるぞてぇのは野放図な考えだ。なれどもこれは子供のその時に思ったんです。

 それから後に藤吉郎が遠州に参りまして松下之綱ていう人の屋敷へ子守奉公を、幸いにここで学問と武芸を一通り納めまして戦にも出ました。けれども三州また遠州、駿河、これは今川義元の領地で今川と言う人を見限りましたから松下の家を出まして、己は生まれ故郷へ戻ってくる、ちょうどこの時年が20歳で御座います。号を木下藤吉郎孝吉と言う、陪臣(またもの)ながら侍姿、ちょうど懸かって参りましたのが三州矢作の橋・・

「はは、おりゃあこの橋だけは忘れられんなー、この橋の下で寝ているのをば徳川の家来に追い立てられ、ここんとこに座って頭を下げた。あの時の竹千代てぇ奴は、あ〜あ、やっぱり大名だな奴は! 俺は見る影もない、こりゃ浪人者の身分の軽い侍だ、はっはっはっ! まだまだ追っつかんなー!」
独り言を言いながら懐かしい橋を中程まで渡ってくると、後ろから・・
『おいおいおい・・おい! お武家、お武家!』
「あ? 何じゃ?」
 振りかえりますと橋の袂に円台を置いてその上へ机を置きまして易書を積み上げ、天眼鏡を載せ、算木筮竹(さんぎぜいちく)を並べた、まだ年の若い坊主頭、腰衣を付けているのは坊主上がりと見える、扇を広げて呼んでいる。
『おいおい、ちょっと、ちょ、ちょ、ちょっとすまんが、ちょ、ちょ、ちょっと戻ってもらいたい!』
 易者の方でね、往来の人を扇を拡げて呼び止めるのをば、“熊谷”てぇ符帳が付いてます。あー、あいつ熊谷やってるなってなもんですね、扇で呼び返すから・・こいつを見た藤吉、
「うふっふっふっふー、易者めぇ・・俺をば金儲けの種にしようとしたな! あーうるさい奴だ・・けっ、からかってやろう。」
「何だ? 易者、何かようか?」
『すまんがな、お前が向こうから御出でになるのをこちらからじっと見ていたんだが・・あー、どうも不思議な相が有る! 人相をば我ら易の方勉強の為じゃ、いいか、すまんがどうか人相を見せてもらいたい、えー、お手間を取るが』
「お前の方から儂の人相を見せてくれてぇのか?」
『そうそう、そ!』
「んんそりゃ見せてあげん事は無い、やらん事はないが・・見料は幾らよこすな?」
『え?見料? お前見料取るのか?』
「当り前じゃないか! 俺の方から見てくれえと言うたらお前見料取るだろう、お前の方から見せてくれえと言うたら見せる俺が見料取るのは当たり前だ! 幾らだ?」
『う、う〜ん! おりゃあ易者になったがな、見料払うのは今日が初めてだ、あ、よしこんだけある、朝から儲けた銭だ、これだけ渡すから見せてくれ』
「え? 見料払ってまで見たいのか? なー、はは、変わった顔は持ちたいもんだな、易者が見料払って見やがる。よし、じゃ見せよう、その見料で見せよう。ところがな易者!」
『何だい?』
「俺もちょっと易が好きでやったがな・・」
『んん』
「腹が減ったり酒に酔うたときには人相が狂うという事を聞いた」
『そりゃそうだ、お前腹が減ってるのか?』
「いや、どうもすっかりペコペコだ! 本当の相は出んぞ」
『うるさい男だなこの男は・・ちょっと待ってくれ、そこへ掛けてくれ、いいか・・じゃこの弁当をお前に半分だけ譲ろう、俺も食わんならんから、ケチな事言うようだがこの飯の上からこうやってこう、ぐうっとこう箸で筋を付けとくから、これからこっち半分食ってくれ、いいか、ここにお茶がある、これで食ってくれ』
「こりゃどうもすまんなー、見料払って弁当までくれて俺の相が見たいのかなー、ははー! 変わった相だ、そりゃあ俺の顔は変わってるからな、じゃ御馳走になる」
『どうぞおあがり!』
「よし、ん〜、こりゃあ美味い、中々どうも・・易者、このなー・・弁当なんてぇのは菜は油げに限るな、油みの醤油が沁み込んでいるから・・」
『黙っておあがり、黙って!』

 あー、藤吉郎食い始めたんですが、体は小せぇが大食いの人で半分と言われたら後の半分が食いたくてしょうがない。答え無しに食う訳にいかんから、何とかして後の半分を平らげてやろうと思ったから、藤吉、
「あーこりゃ旨い・・(プップップッ)・・こりゃ旨い・・(プププッ)」
『あーう、これこれこれ、何をしてるん?! 悪い癖があるなー!弁当の中へツバキを吐きかけちゃいけないじゃないか!』
「いや俺はなー、うーんと腹が減ってるんだ、この弁当一本でも足らんぐらいだ。それを半分残さにゃならんと思うと口へ水が溜まってくる・・そいだから(ププーッ!)」
『あー、汚い! おい飯粒の頭ツバキだらけだよ・・もそんな物が食えるかよ、もうしょうがない食っちまえ食っちまえ! お前みんな食っちまえ!』
「はっはっはー、そうかい、俺の口から飛び出したツバキだ、俺の口へ逆戻りだー・・いやこれは御馳走さん」
『ひどい男だなこの男は、あーあ、とうとう一本みな食っちゃった。さあお茶をおあがり』
「いや御馳走さん」
『それでは見せてくれ!』
「あー、どうぞ見てくれ、満腹したから、さあ!」

 天眼鏡を取ったかの易者は藤吉郎の前へ立ってじっと人相を・・そのまた天眼鏡で藤吉は易者の人相をじっと見ながら、
「(う〜ん、この易者中々いい相をしているな、こいつは出世するでこの男は!)」
 どっちが易者か分からない。手相から人相、すっかりと見てしまった易者、
『いやーどうもお手間を取ってすまなかった、さあーお急ぎであろう、どうぞ行ってくれー』
「んん、あー、どういう人相が出た?」
『いやいやお手間を取った、どうぞ行ってくれ!』
「いやいや俺も見られた、だいぶ長い間かかっていたから・・どういう人相だ? ちょっと言うてくれ、自分の顔だから気になる、ちょっと言うてくれ!」
『お前がちょっとゆうてくれと言うならゆうてあげよう』
「はあ」
『そのかわりに食うた物は戻せとは言えんから、お前に払った見料返せ!』
「へっ? 見料返す?」
『俺は見料払ってまで見たお前の相だから俺さえ分かっていたらいいのだ、お前がそれをどういう人相だ言うてくれと言えば、お前の為に見てやったんだから見料返せ!』
「あ、成る程、こりゃあ理屈だな〜、俺はなー、いったん収まった金はよう返さないから・・じゃまたそれじゃあー会う時も有るだろう、じゃ易者これで別れよう、さいなら!」

 そんなり藤吉郎、サクサクサクサク歩き出すとたんに、“ザバン、ザバン、ザバン、ザッバ〜ン!”という水音! ひょいっと振り返ってみるというと易者は先ず第一に天眼鏡を先に川へ投げ込み、算木筮竹を掴んでこれを川へ放り込んでるから驚いた。藤吉!
「これこれこれ! 何をするんだ、お前商売道具川へ放り込んでどうするんだ?」
『や、うっちゃっといてくれ、俺のもんだから勝手に俺が放り込む!』
「いやや、待て待て! 何でそんな馬鹿な事をするんだ?」
『俺はな、今日まで易という物を信じていた、それだによってお前の人相は弁当まで食われて見たんだ! 今日という今日は易には愛想が尽きた。こんな馬鹿馬鹿しい物、人を惑わすのは嫌だ! 易書も皆川へ放り込むんだ!』
「いや、俺の相見てから?」
『如何にも!』
「俺の相は変わってるなー、易者が廃業する相かいなこりゃ? どういう訳だそれは?」
『もうこうなったら仕方がない、ゆうてやろうー、お前の人相はな、向こうから来るのをこっちでじっと見ていたんだ、あんまり不思議だから見たんだ、何にも言わん他の事は、お前は三公の官位に昇る相が備わっている。三公の官位と言えば右大臣、左大臣、太政大臣(だじょうだいじん)、言わば大臣だ。言うと失礼だがお前の身分は今当ててみようか、えー? そうだなー、んん、禄に離れてるだろうお前は』
「や、はっはっ、当てやがった、禄に離れてる、ああー侍の失業じゃい」
『そのお前がだね、どの位とんとん拍子に出世をしたところが大臣といやあ侍の天下だ、いわゆる武家の司、将軍だ! そんなもんに成れる訳が無い、大名の倅にその相が有ればこの人は武家の司と思うがお前に有ったんでは成れる道理が無いから、易てぇもんは馬鹿なもんだ』
「はっは〜〜はっは〜〜っは!」
『大きな声で笑いやがるな!』

「易者、了見が小さい、小さい、えー、三公の官位だの武家の司、ありゃ神や仏が成る者と決まって居らんぞ、え! 人間が成るもんだぞ! 俺は今は吹けば飛ぶような浪人だ。しかし俺はな、憚り(はばかり)ながら天下をば掌握してみたいという思いを持っておる俺は! それがやっぱり人相に現れるんだ、人はその位の望みを持たなくちゃあいけないぞ、そりゃあお前了見が小さい」
『んん? お前そんな大胆な了見を持ってるのか?』
「易者! 俺はお前の天眼鏡でお前の人相を見たんや」
『やな男だなこの男は、俺の人相・・』
「見た! お前もいい相をしているぞ、俺は、お前はなー・・易者をしている人間と思わない、必ず幾千万の人に見上げられる人だわい、とこう儂(わい)は見たでぇ・・おりゃそれを信じてる、俺の三公の官位も信じてくれ!」
『ん〜ん、お前にそう言われてみたら俺の考えが小さいかな?! よし、分かった! それで甚だ失礼を申した、お前の三公の官位を信じておこう、お前名前なんと言う?』
「木下藤吉郎孝吉という」
『俺はな、愛宕の僧で珍蔵主という者だ』
「おおー、そうか!」
『またどっかで会う時が有るだろう、何かその時の証拠を取り交わしておこう、さあ大事なもんだがお前に預けよう、こりゃ観世音の立像(りゅうぞう)だ』
「お?そ!俺はそんな良い物は無いぞ。へ、吹けば飛ぶような・・へへ侍だから・・じゃおりゃこの小柄預けよう」
『よし、じゃあこれで別れよう!』
「珍蔵主! 出世せいよ!」
『木下、お前も!』 
 右と左に別れました2度目の矢作の橋へ懸かった時には三公の官位と言われた藤吉郎の慶び・・・

 織田信長の家来となって別当から足軽に成り、足軽から目見え以上の侍に成り信長に小猿小猿と言われて居りますうちにとうとう中国の探題職、播州姫路、中国いっぱいに手を拡げる様になって羽柴筑前守秀吉、備中高松という城を水攻めに居たしてる時に、毛利、吉川、小早川という中国の三大家から陣僧として安国寺恵瓊(えけい)長老という名僧がやって来た。これが和談をしようというので羽柴筑前守秀吉の所へ来た時に、お互いに顔と顔を見あった秀吉が・・

「あ〜! お前は珍蔵主か?!」 と言って昔物語を致しました。
 その時には安国寺恵瓊長老という数万の人に尊敬される僧に成っていた。間もなく羽柴筑前守は逆賊光秀を滅ぼし運に長じ、天正の10年6月には高松の水攻めが出世の元と成って、18年の9月には従一位関白、太政大臣と成って小田原征伐をしまして奥州まで平らげまして、10余万の大軍を連れて故郷の尾張中村に帰ろうという、まことにこれが故郷へ錦!

 国を出る時には11才のおりから小僧っ子たった一人で飛び出した人が10余万の家来を連れまして奥州からどんどんどんどん行列を立てて、従一位関白、太政大臣と成って引き上げるんですから・・この道中は東海道へ懸かりますと徳川家康が道中をちゃんと接待を致します。関白殿下の行列がちょうど懸かって参りましたのが三州矢作の橋!

「乗物を止め!」
 乗物を止めと言われましたから、殿下お乗りに成って居ります乗物がピタッと止まる。
「靴を!」
『へへ!』 そこへお靴をさっと揃えます・・
何と思いましたか秀吉は、今日は従一位関白太政大臣の衣冠束帯、杓を取って揃えられました靴へずずっと足を入れ、“コロ〜ン、コロ〜ン”靴音高く歩き出した!
何しろ人数が10万からある、この行列が何10町というほど続いている矢作の橋で行列が止まったんですから、いやどうもえらい騒ぎだ・・後ろの方の者が騒ぎ出した。

「おい、早く出せよ!」
『こっちも出る事が出来ない、どうしたんだい? 先の方はどうなってるんだ?』
「お乗物が止まってるんだよ!」
『あ、お乗物が? 関白殿下の?』
「そうだよ」
『あ、パンクしたか?』
「何を言ってるんでぇー、何だか知らねぇが止まってるよ! しょん便かな?」
 ざわざわざわざわしている。

 秀吉は静かに靴音高く橋の中程をば欄干のあたりまで進んでまいります。
「(あ〜、想い出すな〜・・この橋は吾が12歳の時にこの橋の下に菰を被って寝ておった小猿・・今日はこの姿と成ってこの橋を越す・・おお、その時の徳川竹千代は今は余の家来、徳川家康である・・)」
 と思いながら、ひょっと振り返りますとちょうどその時に徳川家康公、乗物から出まして静に足を運んで秀吉の後ろに立っていた。こりゃあね家康公がなんでここに立っていたかと言いますと、三州この辺は家康の生まれ故郷で御座います、ことにこのたび関白殿下が奥州まで治めて初めて日本には戦という物が無くなった、天下泰平と成って秀吉が大軍を連れて東海道をば押して来るのですから、家康はあらん限りの接待を致します。
 駿河、遠江(とおとうみ)、三河、この間みんな徳川の領地ですから・・領地であるからもう実に至れり尽くせりの接待! その矢作の橋で殿下が駕籠から出て静かに歩きだしたんですから、ご自分の故郷だによって、秀吉が“あ、あそこは何処や? ここは何処や?”てな風に尋ねるだろう、その時には一々説明をせんならん。ご自分の生まれ故郷だけに家康はわざわざ駕籠から出て秀吉の後ろにこう立っていた。

 秀吉振り返って家康の姿を見ると、思わず知らず大口をあいて、
「ワ〜〜ファ〜〜ッファ〜〜ッファ〜〜ッ!!」と笑った。
 ガチョウが鳴くような笑い声! 家康驚いた、
『何という派手な笑いようだろう? 何がそんなに可笑しいのだろう?』
 もう秀吉は愉快で愉快で堪らない、腹の底から愉快だ、それだから思い切り笑った!
 家康は不思議な顔をしてこう見ている。
「おお徳川それに居られたか〜、あ〜あ、余は望みを達した!」
『殿下望みを達しられたと仰せられますのは?』
「徳川・・余は12の時にな、この橋の下で頭から菰を被って寝ていたんじゃ」
 家康も驚いたんで、この人は身分の軽い人とは聞いてるが、橋の下でルンペンのまねしていたとは、こいつは家康も思わなかったから、
『はは、はー!』
「御身(おみ)がそうじゃ、まだ7,8つかな、駕籠に乗って先を払ってこの橋を渡った。その時に俺はな、御身の家来に追い立てられて橋の上に両手をついて頭を下げた、土下座をした。その時に子供ながら彼も人なり吾も人なり、吾運に叶いなば徳川竹千代を家来にとしてこの橋を越さんと思うたんじゃ。その望みが今達せられた! 秀吉の満足この上御座らんて! ワハッハッハッハッハ〜ッ!!」
 これを聞いた徳川家康、それでわざわざ降りたんだ、おりゃあまた拍子の悪い所へヒョコヒョコ出たもんだと思ったがね、後に天下を治める徳川家康です、そんな事を言われてきまりが悪いてぇな顔する人じゃあない。

『へへー!! ああ殿下には御(おん)望みを達せられ、この上無きおめでたい事に御座います・・ヤァヤァは一同!! 殿下御望みを達せられた! おめでたを申うさっしゃ〜〜い!!』
 大きな声でおめでたの音頭取りを致しましたから10余万の大軍は異口同音に、“うぅわぁ〜〜!!”っと声を揚げた。おめでたいという声は川水に響き渡りました。
 望みを達した矢作の橋! 太閤記矢作の橋と題した一席の講談で御座います。

 この話はまったくの創作と言われてまして江戸時代になってから太閤人気で作られたものだそうです。そもそも当時の矢作川には橋が掛かってなかったのです。三河と尾張は戦闘状態にあり橋など作らせなかったからである。実際の秀吉はやはり人の子で偉くなってからはちょっと人が変わられたようで、自分の出自についてかなり劣等感を持ってるらしく、信長に仕える前の事は一切話さなかったと言われています。
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posted by 葵しん at 12:56| 宮城 ☀| Comment(0) | 講談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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